2011年4月16日土曜日

蟻月


行ったのは4月11日の月曜日です。職場で被災地の応援に行っていた若い職員が無事帰ってきたので、慰労会として蟻月に飲みに行きました。
2回目ですが、やっぱりおいしかった。
もつなべがおいしいのは言うまでもないのですが、コースで出てくるほかの料理も結構良いです。
最初のもつと、明太子入りの卵焼きがオススメかな。
これに飲み放題をつけて、飲み放題自体は2時間ですけどそのあともいれるので、3時間くらいいました。
十分ですね。

もつ鍋ですけど、銀(牛テール味)としろ(味噌)の2種類食べました。
6人で行ったんですが、味を分けて2回分食べさせてもらえました。
前も食べたしろは相変わらずこってりしょっぱくてにんにくが利いていて、なんともうまいです。
たぶん蟻月の定番なんでしょう。はずしませんね。
銀は、油系でバターだとおもいますけど、薄味でこってりです。テールのあぶらなのかな。
銀もおいしいけど、私としてはしろの方が好きですね。
最後はチャンポンで締めましたが、これも良いです。
締めは雑炊もあるんですが、雑炊だと汁を吸いすぎてギトギトになるような気がする。ふと麺のちゃんぽんは絶妙だったと思います。

おなかもパンパンで、満足度高いです。
ひとり4千円くらいらしいです、CP結構いいと思います。おすすめです。

ふくべ


4月10日の日曜日に末っ子連れて3人でふくべしました。
私は久しぶりに塩、末っ子は味噌、家内はいつも通り広東。

末っ子はほぼ通常の味噌ラーメンを完食。さすがに満腹で具合悪そうにしてましたが、もやしで腹が膨れてるだけなんで、晩御飯のときには回復してました。
で、私の塩なんですが、一緒に作ってもらったほかのお客さんが「味がない」とクレームして、作り直しになりました。
私も野菜の味が薄いなあと思い食べてたんで、味のつけ忘れなんてありえるのかなあ、と思いながらも作り直しの野菜は味もついてたんで、まあ納得して食べました。
しかし食べ終えて思うにやっぱり味は薄かったです。だから最初のクレームついたラーメンも味の付け忘れではなかったんじゃないかなと。
思うに、塩はもともと味噌・醤油とは野菜の質が違ってて、量的にはチョイ少なめだったんですが、今回はそれが他の味と同じになっていて、つまりもやしが多かった。それでもやしの水分で味が薄くなったんじゃないかなと。ふくべのラーメンのなかでは多分塩が一番しょっぱいはずなのに、随分甘く感じたのは明らかに変なので、もやしが原因ではないのかなと。
クレームした人は多分満足してなかったんじゃないかな。もう来ないだろうな。
私は主に味噌派だったけど、ふくべで一番うまいのは塩だと思っていただけに、味が変わったのは非常に残念でした。
それに比べて家内が食べた広東は相変わらずしょっぱかった、これがうまいんだけどね。

ふくべってもともと味が一定じゃなくて、特に作る人によって違ってた。オヤジさんが一番しょっぱくて、おじさんはチョイ甘。お兄ちゃんもたまに作るけどこれはぜんぜんまずい。はっきり言ってお兄ちゃんがつくるようになって私は行きづらくなりました。最近はおにいちゃんは作ってないんで安心してたけど、塩がこんなに変わってるのはちょっと心配ですね。


ハルモニ


韓国料理の店です。4月9日土曜日の昼、家内と二人で久しぶりに食べに行きました。
キムチチャーハン、牛スジ炒め、鳥肉炒め、の3品、我が家的には定番。
相変わらずうまい。それぞれすごくうまいです。
ただ、昔と比べると全体的にあんまり辛くなくなったような気もします。
それと、チャーハンですが、ちょっとべたっとした感じでした。容器も鉄皿ではなく鍋で出てきたし、変わったのかもしれない。これはこれで十分うまいというか、私はこっちのほうが好きですけど。
ここのメニューって結構変わるので、我が家の定番3品が全て残ってたのはうれしかった。
ちなみに無くなったメニューとしては、ラーメン(キムチじゃない)、イカ炒めがあります。私の知っている範囲ですが。

あと、ここは地下鉄南平岸駅の前にあって駐車場は無いので、いつもマックスバリューに駐車して、帰りに何か買うようにしてたんですが、ここの無料時間が1時間に短くなったので、駐車料金がかかりました。20分以内なので100円ですけどね。

2011年4月12日火曜日

コストコ


最近コストコの品揃えが少し変わったような気がする。
ポテチの大袋がなくなった。
魚肉ソーセージの大袋がなくなった。
新しく並ぶ商品があるから、無くなる商品があるのは当然だが、自分が買ってたものが並んでないとがっかりですね。
しかしポテチの大袋は人気だったと思うけどなあ。震災の影響もあるのかな。
現在の我が家の定番は、パン、鶏肉、ピザ、ぶどう、って感じかな。コストコでしか買えないものは貴重です。
あと気づいたことだが、お試し会員の日っぽい日ってわかりますよね。
いかにも慣れてない人たちって、通路の真ん中で立ち止まって動かなくて人の流れが止まってしまう。
立ち止まるんなら端による位の配慮は欲しいと思う。北海道人ってもともときちんと並ばないし、周りの人のことをあんまり考えないのは良くないところですね。

さらに土曜日は、棚と棚の間の通路にミネラルが積んであって、通路はすごく狭くなってました。そこであのでかいカートを止めて動かない人がいるので、すごく流れが悪くなってました。
コストコってそういうことを注意する従業員はいませんよね。商品がどこにあるか分からなくてききたくても聞く人もいない。
コスト削減のため余分な人員はおかないということでしょうけど、まあ、その分安いんなら仕方ないのかな???

情に棹させば


漱石だが、ずっと、流れに逆らうの意と思っていたが、違うらしい。
「棹さす」は舟を進めることなので、流れに乗っていくとそのままどんどん流される、ということらしい。
そうかな?

この草枕の冒頭は、
知に働けば角、情に棹させば流、意地を通せば窮屈、人の世はすみにくい

となっていて、フレーズは4つで、3つ例示して最後が結論という構成と私は思う。
この3つの例示は、最初と最後は「頑張れば大変」という意味だから、並列しているとすれば二番目も「頑張れば大変」の意でなくてはならず、だとするとやはり流れに逆らうの意ではないだろうか?
この考えはあくまで3つのフレーズが並列しているという前提だが、並列でなければこんな感じになってしまう↓
「頑張ると大変」「頑張らないとだらだら」「頑張ると大変」「とほほ」
これはちょっと変じゃないか?
こうしたければ、3番目が余計だ。
「頑張ると大変」「頑張らないとだらだら」「とほほ」
とすべきだ。
3番めを生かしたいのなら、
「頑張ると大変」「頑張らないとだらだら」「頑張るとやっぱり大変」「とほほ」
とでもするべきだろう。この場合3番目につけた「やっぱり」がないと意味が分からなくなる。
従って、「頑張ると大変」×3「とほほ」
の構成と解すべきと思うんだがどうだろう。

そもそも「棹さす」のは、確かに舟を進めるためなんだろうけど、舟をその場所にとどめておきたい場合も「棹さす」のじゃないだろうか。そういう時はまた違う言葉を使うのかな?

「棹さす」は舟を進めることなのでその読み方は間違いです、一件落着。な~んていわれたら話はそこで終わっちゃうんだが、どうもぴんと来ないという話です。

2011年4月5日火曜日

砂中の回廊2


読了しました。
こういう小説もあるんですね、この年になって知ることができて良かった。
老後の楽しみがひとつ増えた感じです。
文章は漢文のように簡潔で格調高い。
そして淡々としていて深みがある。
しかし中国という国はすごいですね。
紀元前何百年という昔に、色んなことを考え実践し、それが歴史として記されて後代の人々を導いていってるんですね。
中国4千年の歴史、といいますが、大げさじゃないんだね。
ま、今の中国という国に対する評価は別として、その歴史には学ばなければいけませんね。
というわけで次も宮城谷を読むつもりで図書館に行っていろいろ見てたら、宮本輝の「ドナウの旅人」が目に入ってしまった。澄川図書館の文庫本のコーナーです。私に読んでくれと言ってる気がしてつい、借りてしまいました。
実は今日もうこの本を読んでます。
宮城谷さんを読みながらいろいろ考えすぎて少し疲れたこともあったかもしれない、普通の小説を読みたいと思ったのかな。
で、まだ出だしですけど、結構良いです。
きれいな日本語の文章で品があります。女性の一人称というところがちょっと私としては珍しいけど、ミステリーっぽくもあり楽しめます。
実はこの作家も初めての作家です。まだまだ知らない作家はいるよなあ。楽しいなあ。

2011年4月3日日曜日

砂中の回廊


得とは人を許し人に与えること
礼とは?
自分の信念を貫けないときに人はどうするか。士会の行動だけど、
①超遁が霊公をたてたとき反対せず秦に亡命した
②超遁が霊公を殺したとき(間接だが)病と称して態度を保留した
動かないことも知恵かもしれない。
反意は示すが、自分を通すことはしない、ということか。後者は出来るとして、前者をどうするかが問題なのかな。
しかし①も②も逃げたようにも感じる。正しい道が常に採るべき道とは限らない、なんて話は逃げてるだけじゃないのか?
士会の場合、国を守ることが大命題になっていて、そのために一時的に我慢することは士会としても矛盾しないのかもしれないけど。
私も筋を通したいほうなので流されてなんとなくの仕事はすごくいやだ。
実は流れに身を任せたほうが楽なんだ。
そうなんだがそれが明らかに間違っている場合人間はどうすればよいのだろう??
今度悩んだときはこの士会の行動を思い出そう。
小説をこういう風に読むのってどうなのかな。こういった読み方こそが大事だと思う一方で、何か違うようにも感じますね。
音楽を聴いてこんなことは考えないよね。
純粋に楽しめばいいんだろう。
小説もしかりでただ楽しめばいいようにも思うが、歴史から学ばないのはもったいない。
小説はそのものとしてまずは楽しんで、そこから何がしかを学んだならそれもよし、ということかな。
純粋に小説としても十分面白いです。
士会が秦に亡命して秦で地位を得ていくあたり、そして再び晋に戻っていくあたりは激動の展開で一気に読ませる。
物語として十分面白いです。
まだ終わってませんけど。