2010年10月10日日曜日

二つの祖国1

今第2巻の中途で戦争が終わったところ。

収容所でつらい生活を送るあたりは作者の筆も生き生きとしていたが、戦争シーンはどうもよくないですね。
この作者はとにかく人間の描写がうまいんですね。特にねたみとかいじめとか、そういう暗い部分を描くときに筆が踊る感じだと思う。戦争って悲惨な状況が淡々と続くんだが、そういう描写はうまく出来ていないと思う。この作者っぽく、嫌味な軍曹を配置しているが、面白く読ませる部分はそこくらいで、全体には退屈な展開です。
これから敗戦後の日本が描かれますが、どうなっていくのか。楽しみですが、そうでもない。山崎豊子はこれでおわりにしようかな。

第1巻の末尾に松本清張との対談が載ってたが、そのなかで作者は「純文学」という表現を嫌っていて、あるのは良い小説と良くない小説だけだ、ということを言ってました。
まあそうかなとは思うけど、純文学なるものと大衆小説的なものの違いはジャンルとしてはあるし、あっていいし、それは単にカテゴライズするだけの意味だけど、そういう区分を否定することも無いんじゃないかと思う。
純文学と大衆小説を比べて上下関係をつけるから良くないのであって、区分としてはあるだろう。外国には無いと言ってた、そうなんだ、と言う感じだけどあっていいと思う。

で、私としてはあんまり純文学してても読みづらいけど、どっぷりとした大衆小説も読みづらいです、山崎豊子は後者かなと思う。なので次は別の作家かな、と。

対談の中の話だけど、純文学は私小説と作者は定義してたけど、それはどうなんだろ?私の持っていたイメージとは全然違う。
私のイメージとしては、純文学とは深く考えさせられる小説というイメージ。
いろんな出来事が面白おかしく語られて笑って終わり、ではなくて、一つ一つの出来事についてその意味を読者に思索することを求めてくる小説と言う感じ。
芸術性云々は純文学には関係なくて、思索性だと思うがどうかな??

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