2010年10月24日日曜日

DealExtrem

さっきDealExtremで買い物しました。
DsLiteのリファービッシュもの。98ドルくらいで8千円ちょっと。
随分前から悩んでましたが、今日子供にせがまれて決心してしまいました。
PayPalの登録もさっきしたばかり。
不安ばかりですが楽しみです。
本当に来るのか???
ちゃんと動くのか???

まあ、来ることは来ると思うんですが、中国工場の再生品ですから、そこが一番心配。しかしゼルダの伝説バージョンで、黄金ですごくかっこいいDsLiteなんですよ。
動かなくても見てるだけでもいいかな、なんてね。

しかしPayPalの登録にしても簡単ですね。
こんなに簡単に買えてしまうのは不安も大きいわけですが、良い世の中になったのかな、どうなんだろ。こんな夜中に香港から買い物してるんだもんなあ。
通常で到着まで2~3週間のようなので、気長に待ちます。

2010年10月17日日曜日

ハイビジョンビデオ

昨日、ハイビジョンビデオを買ってしまいました。
SonyのCX-170というやつで、近くのヤマダ電機、ポイント込みで3万3千円くらい、すごく安かった。

私としては珍しく衝動買いに近い。
長男が演劇を始めたことがきっかけでビデオもいいなあと思い始め、磁気テープのDVはあるけどちょっとなあ、デジカメのビデオが手軽で最近はずっとこれだったんだが画質がなあ・・・・
というところへ、たまたま職場の同僚がハイビジョンビデオを買ったばかりでいろいろ話を聞いていたこともあり、ネットで調べ始め、ついに昨日買ってしまいました。

しかしソニーのハイビジョンが3万円台前半で買えるんですね~、びっくり。コストパフォーマンスは非常に高いです。
私の目的は、動画からの静止画切り出し保存です。
子供のサッカー等はなかなかシャッターチャンスが難しいので、動画でまわしておいてそのスナップを利用したい、はがき程度のサイズの印刷に耐えられる画質ならOK、というもの。
ネットで調べた限りでは、ハイビジョンであれば切り出してもL判程度の印刷なら十分といった感じだったが、対象が動きのある場合だとどうなのか、そもそも十分というレベルがどの程度なのか、個人差もあるからなんとなくわからなくて、結局買って自分で確かめるしかないかなと考えた次第。まあ、今より画質が良くなっていることは間違いなさそうだったし。

というわけで昨日早速いじってみましたが、微妙ですね。
確かに高画質はわかりますが、高画素で撮影したデジカメ静止画には及びません、当然だけど。ただ昔のDVと違って、パソコンを前提にするとデータ処理が格段と簡単ですね。
デジカメ自体もすごく小さくて軽い。テープを回すための駆動部分が無いし、記憶媒体もメモリーだから当然といえば当然なのかもしれないけど。
目当てだったソニーのソフトPMBも結構軽くて使いやすい。ソニーらしくないぞ。

ま、これからいろいろいじってみます。年賀状の時期も近いしね。
大人のおもちゃですね。

2010年10月12日火曜日

レディ・ジョーカー

今日から高村薫読んでます。
「二十日ぶりの府中は雨だった。」
出だし、良いですね~。なんとも言えん。暗く不安な感じ。そして淡々と描写は進んでいきますが、蒸した競馬場を舞台に行き場の無い鬱屈感が溢れてきます。
高村薫の文体って決して華麗さや美しさは感じないけど、淡々とした中にどっしりと骨太い物があって、なんともいえないです。

結局、山崎豊子は一時中断して高村を読むことにしました。山崎はその次。リョサはそのまた次です。
先週で議会が終わってひと段落なのでじっくりと読んでいこうと思います。

と書いたが、本は通勤途中でしか読まないから仕事の忙しさは関係ないのだけど、やっぱり仕事が落ち着くとゆったりした気持ちで本が読めるような気がしますね。
しばらく読む本に困らない。いいぞ。

2010年10月10日日曜日

バルガス=リョサ

リョサがノーベル賞とったんですね。
マルケスもとってます。
私がラテンアメリカ文学を読んでた頃って日本的にもラテンアメリカ文学が流行ってたと思うんだが、随分昔だったような。今になってリョサのノーベル賞って意外な感じもします。

しかし考えてみるとあの流行は日本だけのもので、世界的には何てこと無かったのかも。文学に国の流行ってのもおかしいし。
ということで山崎豊子の次はリョサかな。

しかし緑の家にしても全く内容についての記憶が無い。面白かったようには思うのだが。まあ読み返すのには良いんだけど。
ドノソのブルジョワ社会は強烈な印象ありますけどね、そのせいで、ラテンアメリカ文学って「奔放なイメージの世界」的な感じがしてるけど、リョサはどうなのかな。楽しみです。

それはそうと、この間図書館に行ったら、「レディジョーカー」が上下そろってあった。
読もうと思ってたのに忘れてた。
照柿の前に読みたかったんだった。新リア王の次になんチャラの馬を読んで高村薫はもう駄目かな、と思ってしまったのだったが、レディジョーカーは面白い。高村薫のピークに近いかもしれない作品だったはず。うーん、リョサの前に読もうか、どうしよう?

二つの祖国1

今第2巻の中途で戦争が終わったところ。

収容所でつらい生活を送るあたりは作者の筆も生き生きとしていたが、戦争シーンはどうもよくないですね。
この作者はとにかく人間の描写がうまいんですね。特にねたみとかいじめとか、そういう暗い部分を描くときに筆が踊る感じだと思う。戦争って悲惨な状況が淡々と続くんだが、そういう描写はうまく出来ていないと思う。この作者っぽく、嫌味な軍曹を配置しているが、面白く読ませる部分はそこくらいで、全体には退屈な展開です。
これから敗戦後の日本が描かれますが、どうなっていくのか。楽しみですが、そうでもない。山崎豊子はこれでおわりにしようかな。

第1巻の末尾に松本清張との対談が載ってたが、そのなかで作者は「純文学」という表現を嫌っていて、あるのは良い小説と良くない小説だけだ、ということを言ってました。
まあそうかなとは思うけど、純文学なるものと大衆小説的なものの違いはジャンルとしてはあるし、あっていいし、それは単にカテゴライズするだけの意味だけど、そういう区分を否定することも無いんじゃないかと思う。
純文学と大衆小説を比べて上下関係をつけるから良くないのであって、区分としてはあるだろう。外国には無いと言ってた、そうなんだ、と言う感じだけどあっていいと思う。

で、私としてはあんまり純文学してても読みづらいけど、どっぷりとした大衆小説も読みづらいです、山崎豊子は後者かなと思う。なので次は別の作家かな、と。

対談の中の話だけど、純文学は私小説と作者は定義してたけど、それはどうなんだろ?私の持っていたイメージとは全然違う。
私のイメージとしては、純文学とは深く考えさせられる小説というイメージ。
いろんな出来事が面白おかしく語られて笑って終わり、ではなくて、一つ一つの出来事についてその意味を読者に思索することを求めてくる小説と言う感じ。
芸術性云々は純文学には関係なくて、思索性だと思うがどうかな??