2011年4月3日日曜日

砂中の回廊


得とは人を許し人に与えること
礼とは?
自分の信念を貫けないときに人はどうするか。士会の行動だけど、
①超遁が霊公をたてたとき反対せず秦に亡命した
②超遁が霊公を殺したとき(間接だが)病と称して態度を保留した
動かないことも知恵かもしれない。
反意は示すが、自分を通すことはしない、ということか。後者は出来るとして、前者をどうするかが問題なのかな。
しかし①も②も逃げたようにも感じる。正しい道が常に採るべき道とは限らない、なんて話は逃げてるだけじゃないのか?
士会の場合、国を守ることが大命題になっていて、そのために一時的に我慢することは士会としても矛盾しないのかもしれないけど。
私も筋を通したいほうなので流されてなんとなくの仕事はすごくいやだ。
実は流れに身を任せたほうが楽なんだ。
そうなんだがそれが明らかに間違っている場合人間はどうすればよいのだろう??
今度悩んだときはこの士会の行動を思い出そう。
小説をこういう風に読むのってどうなのかな。こういった読み方こそが大事だと思う一方で、何か違うようにも感じますね。
音楽を聴いてこんなことは考えないよね。
純粋に楽しめばいいんだろう。
小説もしかりでただ楽しめばいいようにも思うが、歴史から学ばないのはもったいない。
小説はそのものとしてまずは楽しんで、そこから何がしかを学んだならそれもよし、ということかな。
純粋に小説としても十分面白いです。
士会が秦に亡命して秦で地位を得ていくあたり、そして再び晋に戻っていくあたりは激動の展開で一気に読ませる。
物語として十分面白いです。
まだ終わってませんけど。

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