2013年4月17日水曜日

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年


今日読了、春樹さんの新刊。

冒頭から太宰を思わせるような暗さで、このトーンは最後まで一貫してます。
自分探しの物語だと思いますが、ラストのだらだらした20ページくらいの意味は私にはぜんぜん理解できない、そしてそのまま終わりました。
なんとも変なあと味の小説、私としては春樹さんの失敗作だと思います。

春樹さんがエッセイで書いてたと思うけど、春樹さんの作品には長編があって、その間を埋めるように短編を書いていくと。そういう意味では例えばスプートニクは長めの中篇といった作品で長編ではなく短編にカテゴライズされる。
そういう意味で、私はずっとこれは長編なんだろうか?という疑問を持ちながら読んでましたが、結論としては長めの中編で分類すると短編になります。

だからどうということでもないんだけど、私としては春樹さんの長編にはものすごく興味があるんだけど、短編はそれと比べると劣後する。春樹さんが書いたものは必ず読むとは思うんだけど、予約注文してまで読みたいと思うのは長編だけで短編は違う。短編を読むぐらいなら優先順位はエッセイが上にきます、私としては。
で、この作品を短編として読むと、なんというか、短編としてのすっきりした良さみたいなものがなくて、くどくどとした物語になってる。
つまり中編なわけだけど、長編としての良さも短編としての良さもないこの作品はいったい何なんだろう?

この作品では多くのなぞが残されたままです。
シロさんの事件のことはもとより、灰田君やピアニストの挿話、六本指。
もしかしたらつくる君は夢を現実化できる人なのかも?????
なぞがなぞのまま終わる事自体は小説として何の問題もないと思うけど、なぞの持つ意味合いが私としてはまったくわからないし、そこに作者のメッセージが含まれているのかすらわからない。
もしかしたら次の長編小説にむけた作者のモチーフが雑然と並べられただけなのかもしれないとも思ってしまう。

いままでの春樹さんの小説のキーワードは「やれやれ」だったと思うけど、この小説では「きつい」だ。
ほとんどの登場人物がこの「きつい」思いを味わっている。しかしこの「きつい」を通り越して前を向いて生きていくという姿勢までは描かれない。
春樹さんどうしたのかな?
ちょっと心配。

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